何の才能もなく、何かの専門家でもないのに、普通の人以上の自由や成功を望むとき、人生は破滅的なものになる。自分は何者でもないし、何の能力もないから、世間のシステムとうまく折り合いながらやっていこうと割り切ることができないから、ミュージシャンになる夢をいつまでも諦めきれない男のように、現実と希望の間にある世界に安住しようとする。
それでも、そういう生き方が幸せだと思って満ち足りていればいいが、問題なのは、そういう生き方が間違っていると知りながら、世間と折り合いをつけられないケースである。こうなると、もう生きていること自体が苦痛になる。かといって、自分を曲げることは何があってもできないと来る。こうなると手がつけられない。一応、何者かになろうと奮闘はするが、もともとその目標がぼんやりしたもので、世の中に確立されていないから、本人ですら、常にこれでいいのかという不安につきまとわれることになる。
生物である以上、人間は必ずいつか息絶える。考えてみればあっけない。80年だか100年だか、長くてそれくらいの時間だ。50、60代で亡くなることも十分にあり得る。その短い時間において、どう生きたかが、それほど重要だろうか。やりたいようにやって、でも心ではこれでいいのかなと自信が持てない生き方をしようがしまいが、そんなことは地球にとっては関係ないことである。
セミが毎夏、2週間くらい精一杯鳴いて、いつの間にか退場するように、しかし、来夏には彼らの子孫がまた同じ営みを繰り返すように、人間も精一杯生きるしかできない。しかし、セミは自分の出す音色は良くないな、とか考えるのだろうか。考えないだろう。人間は余計なことを考えすぎるのかも知れない。