どれくらいの回数筋トレをするとか、何日休むとか数字ではなく、気分がいいか、疲れていないかの感覚を尊重しよう。振り返ってみれば、もう何十年も、だるさのない日というのは皆無だったといっていい。運動習慣があることはいいことだが、疲れているのに、その疲れは運動で癒せるという信念を盲信して疲れを上塗りしてきていた。回復するまで待つということができなかった。
どの運動でも心身への効果は期待できるらしいが、ことメンタル疾患に関していえば、有酸素運動に軍配が上がるようだ。ジョギングをしていた時期は確かに心身の調子がよかったように記憶している。ただそれ朝10キロ走ったりしていたので、健康によかったのかどうかはわからない。今回は45分走を週2、3回できるようになれたらいいなと思っているが、それが落とし穴である。そうした数字ありきではなく、自分が疲れているかどうか、その感覚を指標に考えないといけない。一般的な基準に自分を添わせたところで自分の問題は解決しない。
つまるところ、自分の身体との対話をしっかりするということである。これは運動だけに限らず重要なことで、自分の人生は他人や世間の基準が優先されがちになる。もちろん協調性、社会性も大事だけれども、自分自身が不在になってはいけない。すくなくとも自分の状態を認識しておく必要がある。
自分と対話することは自分を知ることに通じる。うすうすは自分のキャラクターがわかっていても、はっきり主体的に能動的に認識することとは大きな違いがあるのだろう。といっても本当の自分とはなんだか、わかるようでわからないのだが。
とにかく今回病気になったのは、考え方を改めるチャンスである。いままでの生き方がどこかおかしかったから、それを改めなさいよという身体からの教えだったのだ。そうとらえて、今回を良い教訓にし、よりよい未来につなげていきたい。自分にできることはまだあるはずだからね。