書くことのむずかしさ

文章を書くことが好きで、というか文章を書くくらいしかできることがないので、なんとかこのスキルをものにしたいと、若い頃からがんばってきたつもりである。毎日書く習慣があるし、文章に多角的な視点を取り込みたいと思って外国語も4ヶ国語勉強している。それでも、なかなか進歩しない。

自分では、かなり努力してきたつもりである。日々の努力はわずかな量でも、それを四半世紀も続けてきたのだから、もうちょっと成果らしいものが出てきてもよさそうである。いや、成果という成果がなくてもいい。たとえば名声とか大きな収入とか。そういうのが欲しくないわけではないけど、一番欲しいのは、自分の表現力が高まるとか、読んで面白いと思えるものが書けるという、本質的な成長の跡である。しかし、なかなか進歩したという実感は得られない。

いま、ここで書いている文章も、たとえば20年前の自分が書けるかといったら、どうだろう。もっと稚拙な文章になっていたのではないか。ただ、若い頃は、もっと勢いがあったし、集中力も高く、別の意味で、いまよりも優れたものを書いていたかもしれないと思うことさえある。進歩は直線的、すくなくとも浮き沈みを繰り返しながら伸びていくものと信じているが、もしそうでなく、日々の努力がまったく無駄であって、今後もブレークスルーは起こらないのだとしたら。そう考えると、途方に暮れてしまう。

おもしろい文章というのは、ある意味で、遠慮のない文章かもしれない。こんなことを書いたら人はどう思うだろうか、と懸念するような話ほど、読んでおもしろくなる気がする。ただ頭では、そういう話が面白いと思っても、それを表現することは簡単ではない。どの人にも文型みたいなものがあって、表現力は、その範囲に限られる。そのフォーマットを押し広げたいがために、語学をやっているのかもしれない。

語学は、英語は15年、フランス語、ラテン語は3、4年、古典ギリシャ語は1年やっているが、新しい視点が得られたとは思わないし、文型が拡大したという実感もない。多くの人が、成功の直前で努力を諦めてしまうという。いまは夜明け前の、一番暗い時間帯なのだろうか。そういう時間がずっと続いていて、まったく光が射してくる気配がないのは、努力の仕方が悪いというより、単に光の射さない、洞窟のような場所にいるからで、実は、すでに世界のちょっと違う場所に行けば、光が燦々と輝いているのかもしれない。

どんな逆境でも、書く習慣を続けてきたからこそ、いまがあるとも思う。もうだめだ、全然むくわれない、もうやめようという考えは、不思議と浮かばない。全然、成功できないな、いつ報われるんだろうと不満に思うことはあるが、書く手を止めようとは思わない。結局、純粋に書くことが好きなんだろう。自分の筆力が向上していくのをみるのが、無上の喜びなのだろう。だから、努力に見合った成果がでなくても、今日も書き続けるのである。

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