認知の歪みと身体性

物事を悲観的に捉える癖があるからメンタル疾患になるのか、メンタル疾患だから物事を悲観的に捉えるのか。

好きなものからあえて遠ざかろうとする。常に自分を不快な状態に置いておこうとするかのように。何ものからも縛られない状態でいようとするかのうように。

本当の自分を受け入れられないから、他人も受け入れられないのだろうか。

メンタル疾患を治すためにも、こういう考えの癖を直したい。心療内科に行けば、そのへんの手がかりをつかめるのだろうか。ただ、精神的なアプローチ、たとえば意識して考え方を変えるというやり方の実効性には疑問がある。頭でこねくりまわすことにどれだけ意味があるのだろうか。理想は意識せず、自然とただしい認知をするようになることだ。もちろん練習によって自分の考え方を変えていくことは可能なんだろうけれども、根本的な解決になるとは思えない。

だから身体からのアプローチを重視したい。大量の喫煙、コーヒー、甘い物の摂取、ポケットに手を突っ込んで猫背でのだらだら歩きなど、過去の悪習を改めつつある。これらも即効性があるわけではないが、身体が変われば自身がつき、他人による認識、対応も代わることで他人に対する認識も変えられるかもしれないと思っている。

病気は悲しいし、多くのものを奪っていく。でも、病気になったからこそできたこともあるし、わかってきたこともある。だからいいきっかけと捉えることもできるし、この経験を生かしていきたいと思う。

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