言語は人格をつくるのか

外国語学習をする理由の一つに、自分のなかに別の人格をつくるというのがある。言い換えれば、どの言語にも、人格を形成する要素があるということである。英語なら、英語で考える人格ができる。そういう別の人格を自分のなかにつくれたら、相談相手になってもらえ、一人では思いつかない妙案が生まれたりするのではないかと期待している。

コミュ障というほどではないが、孤独が好きである。協調性がないといってもいい。だから、他人との交渉が生きていく上で、あるいは成功する上では不可欠とわかってはいるが、どうしてもそうできない自分の性格もよくわかっている。でも、言語学習を通じて別の人格を自分のなかにつくれたら、ひとりでもなんとかそれなりに上手くやっていけるのではないかと考えている。

人格を形成するには、相当のレベルにならないといけないとは思う。英語学習はもう15年近くやっているが、それでも新しい人格ができたという感覚はほとんどない。別の視点を得られたとも感じない。自分で気づいていないだけで、ものの見方、考え方は、多角化しているのだろうか。フランス語はまだ3年くらいしかやっていないので、人格形成のレベルには穂と遠いと思う。古典語は読み書きしかやらないので、仮に上達したところで、人格形成に寄与するかはわからない。

もし本当にひとつの言語につきひとつの人格を形成できるなら、もうひとつ、新しい生きた言語を学びたい。語学学習は長期戦なので、始めるのは早ければ早い方がいい。中国語がいいかなと、漠然と思っている。あるいはアラビア語。とにかくいままでやってきた言語とは異なるタイプの言語に挑戦したいと思う。いい先生をみつけられるといいのだが。

40代。語学(英仏羅希)、格闘技に興味あり。たまにウクレレを弾くが、ハワイアンは弾けない。いつかヨーロッパを3ヶ月かけて旅して回りたい。体調を崩してから禁煙し、コーヒー、甘いものを避けている。最近は鳥を観察するのが好き。バードウォッチングのコミュニティに参加したいような、したくないような。

ぺんもるをフォローする
フランス語ラテン語古典ギリシャ語英語迷走日記
ぺんもるをフォローする
タイトルとURLをコピーしました