今回、パニック的な発作によって死にそうだという恐怖の感覚に捕らわれ、それによって自分は生きたい、少なくとも死にたくないと思っていることが浮き彫りになった。日頃はもう思い残すことはない、いつ死んでも後悔はない、ベストを尽くして生きてきた、と考えていたけどね。
生きるということは死ぬことと常に背中合わせだ。生物である以上、寿命があるからね。呼吸し、臓器が動き、考え行動できていることは奇跡のようである。酸素が地球に存在しているから人間や動植物が生きていけるのも不思議に思えてならない。絶妙なバランスの上に生命は成り立っている。
世の中の人、とくに高齢者の方は死ぬのが怖くないのかなと思ったりする。両親もけっこうな高齢だが、精神的には俺よりも元気である。死に近いのは彼らの方だが、その恐怖にすくんでいるようにはみえない。
とにかく、生きているだけで十分である。それ自体が奇跡のようなものだからね。ふつうに暮らせることがいかに貴いか、病気をするとそれがよくわかる。特別なイベントがなくても、健康で、食事を楽しめるだけで幸せだ。これからもし元気になれたとしても、その普通のありがたみを忘れないようにしたいものだ。
死の恐怖も、生を精一杯生きるために、持っておいてもいいのかもしれない。遅かれ早かれみんな生を終えることになるんだからね。考えてみれば不思議である。生まれて死ぬことについての意味は人によって千差万別だろうが、生物の本能としては種の保存のために生きているということになるのだろう。
生きる理由が何であれ、生きているという状態はすばらしいことだ。これはこの世に生を受けたものでしか味わえない。生きている限り、生きている状態に感謝し楽しみたいと思う。