生きている間に苦しんでいる人は、死ぬに際して苦しみが免除されるということにはならないのだろうか。病気をして以来、人はみないつか必ず死ぬし、死ぬときはさぞかし苦しいだろうということを考えている。今は毎日何かしらの不定愁訴に悩まされていて、生きているだけでしんどい。別に希死念慮まではいかないが、死ぬなら死んでも構わないと思っている。でも、痛かったり苦しかったりすると嫌なので生きているという感じだ。死ぬ勇気もないし。
だから、せめて日頃から苦しんでいる人は、死ぬ間際になって苦しまないという慈悲の免除があって欲しいと思わずにはいられない。気づかないうちに、たとえば寝ている間に死ぬとか、そういう死に方が望ましい。生きている間ずっと苦しい思いをして、死ぬ時もしんどい思いをするというのなら、もう人生は地獄としか言いようがない。死んで天国に行くとよく言うが、まさに地獄の苦しみからの解放は、天にも昇る気分なのだろう。その極上の境地に至る手前では死ぬような思いを(そして実際に死ぬ)しなければならないのだろうか。
認知が歪んでいるせいもあると思う。悪いところばかりに目が行って、いいところは存在しないかのように思い込む。今の状態はもちろん良いものではないけれど、恵まれているところもたくさんある。自分の長年の努力が報われないと嘆くことが多いが、それは自分の思い描いた夢が実現していないという意味ではその通りだが、かといって自分の努力によってなしえたもの、手に入れたものもある。そして、それらのもの、ことは、それはそれで素晴らしく価値のあるものあり、ある意味で努力は報われたと考えることもできる。
メンタルヘルスの患者は、悪いところばかりを気にする傾向にあるらしい。症状はよくなり、以前できなかったことが格段に増えていることは見ようとせずに、調子の悪いところばかりを見ようとするそうだ。95%回復しても、残り5%が気になって、まだ病気が深刻だと思うように。
話が逸れた。今もいいところはあるし、死ぬに際しても、天国に行ける、つまり生の苦しみから解放されるといういい面もある。全部が全部ポジティブな面ばかりを見る必要はない。ただ、悪いところばかり見ようとするのはアンバランスであり、せめて50対50くらいにはしていきたい。