追い込めば追い込むほどいい?

今回、体調を崩したことによって、生活態度をいろいろ改めたが、まだ変えなければいけない考え方がある。その一つが、運動で追い込みすぎることだ。なんでもやればやるだけ効果がある、すなわちぱっとしない自分を変えられると信じ、より多くのレップ数や負荷を追求していた。バーピージャンプを休みなしに100回やるとかね。

ストレスは精神的なものも肉体的なものも身体にとっては同じである。肉体疲労が募るのも、会社で怒りや不安を覚えるのも、等しくストレスなのだ。疲れたら休まなければならない。そんな明らかなことはわかっているのだが、自分に自信がないのが原因なのか、人より多くやればそれだけ強くなれるはずと信じ込んでいる。でも今回、それで痛い目をみたわけだから、同じ轍を踏まないようにしないといけない。

そこで新しいルールとして設定するのが、寝起きの感覚を運動するかしないかの判断基準にすることだ。朝起きて熟睡感があるか、疲労感がないかを唯一絶対の指標とし、熟睡感があり疲労感がなければその日は運動してもよい。もし熟睡感がなく疲労感があればその日は運動しない。ただここで言う運動は中強度以上のもので、それはジョギングや筋トレ、ジムでのセッションなどだが、散歩は除外する。むしろ散歩は毎日、とくに毎朝やるべきである。体内時計をリセットし、脳内物質のセロトニン産生を高めるためである。

年を重ねるにつれ、なるべく若くありたい、年若の人間に負けたくないという思いから、ちょっと無理して特別なことをやろうとしがちである。老いを受け入れることは怠慢だという感覚もあるかもしれない。しかし度を越してやれば今回のように取り返しのつかない状況を招くことになる。それに長いトレーニング習慣のなかで、満足いく結果を得られたことは皆無といっていい。ただただきつく、つらかっただけである。運動後に感じる爽快さなどとは無縁であった。それでは調子も崩すはずである。

今後は、自分が心地よいと感じる運動をしていこう。成長のためにはときにつらくしんどいこともしなければならないのだろうが、毎回それを追求する必要はない。こう考えてもそのとおりに実行することは難しい。だから寝起きの感覚を指標にするルールを設定するのだ。

熟睡感があり疲労感がない朝にどれだけ運動をしていいかは今後の検討課題である。朝の散歩、ジョギングがベースになるのは変わらない。それらがメンタル疾患には有効だからである。ただ、スクワットやランジなどの筋トレ、ジムでの格闘技も今後再開していきたい。それらのアクティビティとジョグを同じ日にやってもいいかどうか。次の日以降、疲れが抜け完全に回復するまで運動をしないのであれば、問題はないのだろうか。今後、検証していく必要があるが、とりあえずは運動して疲れたら、疲れが抜けるまで休む。これを徹底していこう。

40代。語学(英仏)をマイペースで勉強(主に読書)していて、たまにウクレレを弾く。バーピーなど自宅でできる自重トレを習慣化している。

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