逃げるが勝ちと書くつもりが、価値に変換された。でも、これはこれでいいな、と思った。
仕事にしろ勉強にしろ、理不尽な目に遭ったら、耐える必要はない。少なくとも、そういう不幸にあった自分を責めたりする必要はない。許せないと思うなら、許さなければいい。会社にしろ学校にしろ、そんなもんやめちまえ。
生きていくには、金が必要だ。金がないなら、働く。最近では、なるべく節約して投資に回し、早期リタイヤするのが流行っているらしい。どっちにしろ、金がなけりゃ不便だから、金を持つ必要がある。しかし、そこに付随する不愉快なことまで背負い込む必要はない。
人を蹴落として上に行くタイプもいれば、蹴落とされるタイプもいる。蹴落として上に行く人間だけが正当化される世の中だ。蹴落とされた側は、尻尾を巻いて逃げるか、勝ち目のない戦いを挑むか、である。ただ、負けたと思う必要はない。自分に合っていなかったと思えばいいだけで、さっさとその場を離れればいいだけである。
追いやられ、都落ちをしたとしても、そこには、気楽さがあるかもしれない。とにかく、自分が心地よいと思える環境を探してほっつき歩けばいい。人生なんて、そんなものである。どうせ、どんな権力者だって、どんな金持ちだって、いつか死んでしまうのだ。
人生は暇つぶしと誰かが言っていた。素晴らしいものだと称揚することも、地獄のように忌み嫌う必要もない。命があるから、生きる。それだけである。
と、そんな風に達観できたらいいのだが、プライドもあるし、なかなかそうはなれないのが、また人間なのであろう。そういう見栄を捨てられたら、それこそ何よりの価値である。