固有名詞がないと読み物としての価値は低くなる?

より本質的なものを文章で表現したいと欲するとき、固有名詞ではなく、なるべく一般化した名称を用いて、構成しようとする。具体性が欠け、観念的な内容になるが、そうなると読み手としては面白くないのだろうか。特定の誰かが特定の何かを特定の場所で行った、ということを書くだけで、雰囲気が伝わるのだろう。

たとえば。

パリのシャンゼリゼ通りでヒップホップダンスを踊った。

という文章と、

ヨーロッパの主要都市の大きな通りで踊った。

という文章では、受け取る印象が違う。
視点が遠ざかることでみえてくるものもあるだろうが、ずっとその調子の文章が続くと、読者は飽きちゃうんじゃないかな。どうなんだろう。具体性があるほうが読み手はイメージが湧きやすいとは思う。固有名詞は、現実のものでも非現実のものでも、一般化するよりは、印象が強くなるのだろうな。

ゴッドランドのバンパイア通りでプンタラ民族の踊りを踊った。

みたいな。読み手が「どこそれ?」と困惑するのか、「そういう(架空の)場所がこの世のどこかにあるのでは」と感じさせることができるかどうかは、書き手の力量によるのだろう。

一方で、俯瞰する視点が不必要ということでもないと思う。だが、現実・非現実を問わず、具体性が欠けるのであれば、それは読者を惹きつけられないことになるのだ。

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