生の儚さ

昨年体調を崩したからか、両親も年を取って、いつかその日が来ることを覚悟しなければならないという自覚が芽生えたせいか、人生とは、生命とは何だろうと考えるようになった。ぱっと生まれてきて、しれっといなくなる。あっけないものである。生きている間は、いろいろな欲に振り回され、喜怒哀楽が爆発し、もだえ、のたうち回りながら生きる。そこでは、誰かしらターゲットとなる人間がいる。それらの人間と自分の関係性が、思考や行動に多大な影響を及ぼす。少しでも相手より優位に立ちたい、少しでも人より豊かになりたいと、必死で戦う。しかし、最後はみんな、同じ結末を迎える。

道で小動物の死骸をみつけることがある。羽虫がつきまとっていれば、手で叩く。生命とは、そういうものである。人間にとって、人生の終わり方は大事だが、それは人間が社会的動物だからである。いろいろと形而上学的なものを頭でこねくり回すからでもある。畏敬の念も関係しているのだろう。しかし、小動物や虫の生と、人間の生は、地球規模でみれば、同じものである。

そう考えることで、最期を迎える恐怖ややるせなさを軽減しようとしているのであろうか。わからない。とにかく、生まれてきたからこそ、このことで思い悩まなければならないのだと思うと、生まれてこなければよかったのにと思わなくもない。

一方で、生命の存在意義は、種の保存だと思う。個体の人生はあっけないものだが、種は絶滅しない限り続いていく。だから、人間にとっても、子孫をつくるということは、言うまでもなく非常に重要だ。それは人類全にとっても大事だが、個人としても、生の儚さを慰めるには、子孫をつくる以外の方法はないのかもしれないとさえ思う。

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