蜘蛛の糸

およそ生物が捕食するために駆使する術において、蜘蛛のそれほど奇妙なものはない。ほとんどの動物は、直接自らの身体を使って獲物を仕留める。牙だったり爪だったり、嘴だったり。人間なら手、道具を使う。蜘蛛の手法は人間の道具に近いかもしれない。人間が網で漁をするように、あるいは罠をしかけて待つように、蜘蛛は糸を吐き出して、獲物がそれに絡まって動けなくなるのを狙っている。

公園を歩いていると、蜘蛛の巣にひっかからないか、気にしなければならないことがある。光の加減で、あるいはすでに不運にも自由を奪われた生き物が宙に浮いていると、そこに蜘蛛の巣があると認識できるが、そうでなければ透明なので、まとわりついたあとに悪態をつくことになる。まあ蜘蛛にしてみればせっかく苦心して張り巡らせた罠を壊しやがってと文句もいいたくなるだろうが。

蜘蛛は、巧妙に枝から枝へと罠を張り巡らせて、獲物が絡まったら、それを、まあ、食べるわけだ。昆虫だが、なんとも人間らしいというか、動物らしいというか、神秘を感じる。ちなみに、なんで蜘蛛の巣と言うのだろうか。蜘蛛がそこで住んでいるわけではないように思うのだが。たんに獲物を捕捉する罠なのに、蜘蛛の罠といわず、蜘蛛の巣と言う。よく考えると何なのかわからないことは多いが、これもその一つであろう。

もちろん、蜘蛛のその営みも、DNAに刻まれているのだろう。しかし自然も、自然のなかで生息する動植物のことも、考えれば考えるほど、よくできている。精巧なエコシステムである。これを昔の人が神の御業と考えたのも頷ける。どうして、こううまく成り立っているのだろう?一つでもいまある要素が欠けたら、今の地球の姿は維持できないというほどに、絶妙なバランスが維持されている。たとえば酸素がなかったら生物はみんな死んでしまうし、酸素が多すぎても死んでしまう。考えれば考えるほど、奇跡のようである。

蜘蛛の糸の材料は何なのだろう。たんぱく質かな。そのたんぱくは、獲物から得るのだろう。それは保存がかなり効くのではないか。腹ペコの蜘蛛は糸をつくれない、というわけではないだろうから。

タイトルとURLをコピーしました