少し前に美味しいパン屋をみつけた。パリに本店があるらしく、バゲットの大会みたいなもので賞を獲得したような実力店らしい。そこのハムとバターを挟んだバゲットが美味しい。初めて食べたときは感動した。他の惣菜パンは可もなく不可もなしといったところ。
当然、再訪したくなる。そしてまた同じバゲットサンドを買う。おいしい。でも最初のような感動はもう得られない。毎回、最初の感動を味わうことは難しいのだろうか。
洋服でも、試着して着心地の良さに感動することがある。でも着ていくうちにその感動は薄れていく。感動という非日常が、時間の経過とともに日常になっていくということだろう。そう頭では理解できても、最初の感動のインパクトを求める気持ちは残る。
これは依存症的な傾向と言えるのかもしれない。最初の快感が忘れられず、それを求めて彷徨するようなものだから。そして慣れてしまうと、もっと強い刺激が欲しくなる。人間の身体、脳とは不思議なものだ。どうしてもっともっとと求めようとするのだろうか。
その飽くなき欲求が世の中を進歩させてきたのではあるだろう。足るを知るという戒めは、そうした人間の行き過ぎを踏まえた上で、偉い人が新たに作り出した境地なのかもしれない。結局、正しい生き方とは何なのか。
バゲットからえらく話が飛躍したが、日常の一コマを切り取り、そこから描写を広げていくのもいい訓練だし、もしそれを優れたものにできたら、魔法のように文章を編み出せることになる。誰かが読んで、価値を見出してくれる文章を、そういうスタイルで書けたら最高である。その理想の姿を求めて日々努力しているが、これも考えてみれば、過去にあった成功体験の再現を求めて続けているだけ、と言えるのかもしれない。ただ、足るを知れと自分に言い聞かせるには、引き返せないところまで来てしまった。もっと成果を、もっと成功体験を、と求めてやまない私の運命は、一体どうなるのだろうか。