オンライン英会話を日常的に活用しているが、とくに初めての講師と話す際は自己紹介する必要がある。そして自分について話していると勢いがついてきて、どんどん話が展開し、ずっと喋り続ける。ふと相手の顔をみると、困惑した表情になっている。あ、こりゃうざがられてるなと気がついて少しトーンダウンし、相手の話すことにも耳を傾ける姿勢をみせたりする。
考えてみれば、英語で相手にうざがられるほど話せるようになったのは、大いなる進歩といわねばならない。母国語以外で、それだけ話せるようになったというのは、自分でも驚きである。まあ自分語りは簡単ということもあるだろうけどね。もう英語は自分の一部になっていると思う。これが仏語となると、日常会話でさえおぼつかないから、まだ修行が足りない。
本来、英語も仏語もその他の古典語も、なぜ学習するかというと、文章力を上げることにつながるからと信じているからである。もっと言うと、日本語を母国語とし、日本語で考える自分以外の異なる視点を獲得したいからである。もし自分の中に複数の視点を持てれば、それだけ物事を多方面からみられるようになるわけだ。そうなると、文章を書く際にも、一方向からしか書かない書き方よりも、より深く、広いものが書けるようになると思う。まあ、実際はどうなるかわからないが、外国語学習にはそういう目的がある。
でも副産物として、その言語の運用能力自体がが向上することで、その言語を介して未知の世界の情報にふれることができるのも確かである。オンライン英会話ではさまざまな国の人と会話できるからね。昨日の相手はジブラルタルの人だった。人口が3万3000人しかいない国である。人柄も、謙虚で繊細そうな感じで、日本人に近いのかなと感じた。
もし英語がまったくできなかったら、世界中の人と会話することもなかっただろう。古典語のテキストも辞書も、英語がベースのものを使うことが多いが、英語が理解できるからこそ、授業についていけるし、自習もできる。そういう意味で、英語は多くのものをもたらしてくれているということが言えそうだ。