こうやって日々文章を書いてはいるのだが、独りよがりの内容ばかりである。若い頃、読書していたときは、悩みや、将来に対する不安を忘れることができた。だから、自分もいつか、かつての自分のように、ある種の精神的危機に陥っている人を一瞬でも救えるような文章が書けるようになったらいいなという思いがある。しかし、それはもちろん、簡単なことではない。
自分が読んでいて、どんな文章に夢中になれるかと考えると、文体はあまり大きな問題ではないようだ。それよりも、ストーリーが大切である。物語の要素が、読み進むエンジンになるのである。次の展開が気になるからだ。
小説でなくても、たとえばこのブログでも、物語的要素があれば、読む人は次はどうなる、と気になるものだろう。かといって具体的に、どうやって文章に物語的要素を組み込むかは、簡単な問題ではない。それができれば苦労しないし、できるなら小説家になれるだろう。
とにかく、根幹には、読む人を夢中にさせたいという思いがある。その実現のために、読み書きをし、外国語を勉強しているようなものだが、なかなか進歩を感じられない。それは、物語の要素が欠落しているからではないかと、この文章を書いていて思いついた。おそらく、的を射ている。
朝の散歩コースに、細流の脇に東屋がある。そこで沈思黙考するのが好きだが、最近は先客がいる。遠くからみると、最近は目が悪くなってよくみえないが、どうやら女性のようである。朝っぱらから、人気も少ない公園のなかのその東屋のベンチに座って、スマホをみているようだ。物好きな人もいるものだという好奇心と、お気に入りの場所を占領された不満がないまぜになりつつ、通り過ぎる。
雑木林のようになっている未舗装の地面は、あちこちにモグラが掘り返した土の山ができている。もぐら塚というらしい。落ち葉を踏みしめながら、書き手としてのあるべき姿に思いを巡らしていた。・・・なんてふうに書くと、読む人は引き込まれるのではないか。しかし、なかなか難しい。