フランス語クラスに続き、ギリシャ語、ラテン語のクラスにも復帰した。ブランクがあり、予習もしていなかったのもあるが、そもそも難解なので、単に参加するだけに意義がある格好でいいやと気楽に参加した。欠席していた期間、プリントのコピーをラインで送ってくれていた親切なクラスメートにも再会できた。授業中にめまいや息苦しさが出る瞬間もあったが、大過なくやり過ごせた。
古典語の勉強は、フランス語とは異なり話者が存在しないので、基本的に文法がメインだ。ギリシャ語に関しては接続法、希求法という最も興味深いパートの時期に休んでしまった。ラテン語は講読をしているが、復帰後初のクラスでは予習をしていなかったこともあり、あまり実りがなかった。それでも先生の説明を聞きながら原文をみていると、これまでに学んだ文法知識は生きていた。一生かけても辞書なしで読めるようにはならなさそうであるが。
文法がメインとはいえ、授業の端々で古典世界を垣間見る。紀元1世紀のローマにはすでに女性のがめつさ、それを嫌って結婚しない独身男の描写がある。古代ローマはすでに高度な文明を有していたことは知っているが、それでも2000年近く前にも今と対して変わらない人間の感情が展開されていたことを思うと不思議な感じがすると同時にロマンを覚える。
そうした当時のエピソード、人々の考え方などに触れることが、古典語学習の重要なスパイスになっていることは間違いない。文法の勉強自体にも楽しみはあるが、ちょっと無機質である。どの言語であるかに関わらず、文章を構造的に理解する視点を得られるという意味では文法は非常に有益であるけれども。
症状や発作の不安感はまだ消えないが、再び古典語の世界に戻って来られて嬉しい。予習や宿題は時間もエネルギーも必要とするが、無理をせずに続けていきたいと思う。