気分が乗らない日もある

抜歯以来、そのことについて書いてきた。要はネタがあったから、頭を使わずに書けるので楽だった。しかし、傷口も塞がり、痛みもほとんどなくなってくると、いつまでも抜歯のことばかり書いていてもな、という気分になる。しかし、かといってほかに書きたいことがあるかというと、なかなか思いつかない。

では、その書きたいことが思いつかないということについて書けばいいと考え、いまこうして書いているわけだが、まったくくだらない。空疎である。これで書く練習になるのかといったら、ならないだろう。しかし、書いても書かなくてもいいことをずっと書き続けてきた人生だ。そのどうでもいい活動を、しかし長期にわたって続けたら、何となしに書いた文章が、素晴らしい価値を持つようになってくれればいい。そんな思いで各練習を続けてきたが、なかなか思うように発展していかない。

これだけ努力してきたのに、全然報われないと、よく嘆いている。衣食住うが揃い、不自由なく生活できているのに、成功していないからと自分の生活を見下すような考えにとらわれている。これでは、幸せにはなれない。それに、努力の結果かどうかはわからないにせよ、サラリーマンとしては、非常に恵まれた環境であることも、確かである。年収は平均以上だし、時間もそれなりに自由に使える。本の印税収入で暮らしていけるという状況ではないにせよ、若いときの劣悪な仕事環境(低収入、長時間労働)を思えば、いまは天国みたいである。だが、それに満たされない自分もいる。複雑である。

きっと、新しい一歩を踏み出すタイミングが、近づいてきているのだと思う。安定は確かに大切だ。しかし自分の寿命を思うとき、あるいは親の寿命を思うとき、やりたいことができる時間というのは、実はもうかなり限られていると思わざるを得ない。だから一度、すべての制約を取り払って、まず自分が人生でやりたいと思っていることを先にやろうと思う。その準備を今年1年かけてやり、来年、行動に移すつもりである。それによって安定を捨てることになるが、つまり会社を退職することになるが、きっとまた、新たな活路を見いだせるだろう。先にやりたいことをやってしまえば、あとはもう、食うために働くことについて、納得して受け入れられるんじゃないかと思う。まあしかし、結局のところ人間は、どんな環境にいても満たされないものなのだろう。だから、足るを知るという境地に達することは、重要なのだろうが、なかなか難しいものである。

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