2024年か。最近はもう日付とか年数に対する感覚が薄れてきていて、どの日もほかの日と気分的に変わりがない。これは年のせいなのか、精神的によくない状態だからなのか、とにかく、クリスマスも正月もただの一日である。
いつも有意義な時間を過ごしたいと思いながら、スマホをだらだらと長時間みている自分がいる。早寝早起きをして、朝からバリバリ自己投資するぞと意気込んで、もう何十年経つのだろう。早寝は少しずつできるようになってきたが、早起きはできていない。無理に早起きして睡眠不足になっても困るから、最近は寝坊しても自分を責めないようにしている。しかし朝に時間を作り出せなければ、成功も望めないだろう。
どうやら、なんらかの精神疾患を抱えているようだ。これは、鬱とか統合失調症とかいうよりも、もっと根源的な、発達障害とか、そういう類の、生来のものだと思うようになってきた。自分にとって当たり前の感覚が、他の人にしてみれば理解できないことも多々あるように思う。たとえば、昨日久しぶりにジョギングをしたが、走りながら、自然と数を数えていた。100くらいまで数えると、リセットするが、また0からやるというより、40くらいから始まったりする。飲み屋など周りが騒々しいところに行くと、耳が聞こえなくなったりもする。とにかく繊細というのか、ふつうじゃない。
若い頃、というより、若い頃からいまにいたるまで、そんな状態がなにかの間違いで起こっていて、なんとかそれを正そうともがいてきたような気がする。別に悪いことをしたわけじゃないのに、悪いことをしてしまったかのように感じ、それを恥じ、隠そうとして、しかしどうにも改善、解決できなくて、おろおろしながら生きてきたように思う。
それを生来の病気だと決めつけることによって、楽になるなら、そうすればいい。だが、そうやって開き直ったところで、この世が生きにくいところであることには変わりない。発達障害にしろアスペルガーにしろ(それぞれどんなものかよくわかっていないが)、不利な点もある一方、有利な点もあるらしい。特殊な才能があって、人並み以上に成功できるといったようなイメージが、そういう人たちにはある気がする。一方で、そういう自分を持て余し、社会の片隅で苦しみながら、なんで生きているのだろうと自問しながら、しかし答えは得られずに、過ごしている人もたくさんいるのだろう。
とにかく、自分にできることを続けていくしかない。環境を変えるといっても、どんな環境でも、そういうちょっとふつうじゃない感覚の持ち主にとっては、居心地がよくない。だから、どこにいようとも、自分にできることをやるしかない。今年も、読み書き、語学をできるだけやる。それでも、うまくいかないときはうまくいかない。今年末には、今日考え、感じたことなどすっかり忘れているだろうけど、結局、どんな日も、大切な一日として、精一杯生きていくしかないんだろう。