コミュニケーションの難しさ

外国語でコミュニケーションするのは、もちろん簡単ではない。そもそも言いたいことを言語化できないのであれば、メールなど文章しか手段がない場合は意思の伝達はお手上げである。対面であれば、身振りや表情に頼れるかもしれないが。

日本人同士でも、メールでのやり取りとなると、意思の疎通がうまくいかないことがたびたびある。とくに込み入った内容について確認する場合などはそうだ。こちらの伝え方が悪いのか、相手の読解力がないのか、質問に対して、別の答え方をしたり、そもそも質問を真逆の意味にとらえられることもある。どうしてこんなことが起こるのか、戸惑ってしまう。

こうしたことが起こる原因の一つに、情報レベルの差があると思う。特定の業界の専門知識を備えた人とのやり取りでは、とくにそうだ。彼らはふだん、業界で知られている情報をベースにコミュニケーションしている。そうした基盤を持たない人間が、彼らの専門分野について議論することは不可能である。そうだけれども、彼らのやっていることを理解しようと努めるとき、わかりやすく、比喩などを使って説明してもらうよう頼んでも、それができる人は実は少ない。

つまり、難しい専門用語を口から次々と送り出すけれども、本当の意味で、彼らは自分で何を話しているか、理解していないのではないかと疑ってしまう。言語や専門用語だけが独り歩きし、本質をとらえられていないのではないか。まあ、本質がなにかということを定義することも難しいのであるが。

言われたこと、教えられたことを鵜呑みにして、オウムのように繰り返すことに、どれほどの価値があるのだろう。限られた世界のなかで通用すればいいという話なのであれば、それでもいい。でも、専門外の人がわかるように、翻訳することが必要なケースも多々ある。そこで、簡明に、自分の言葉で話せる人こそ、優秀だと思うし、コミュニケーション能力があると思う。言葉数が多く難しい専門用語を駆使しているからといって、その人が優秀なわけではないのだ。

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