本を手にとって読み始めさえすれば、面白くなって読み続けられる。でもその最初の一歩を踏み出すのが難しい。なぜかスマホに手が伸びてしまう。気がついたときに電源をオフにするように心がけるようにしてはいる。スマホを使わない時はすべてオフにしているわけではないが、気がついた時にオフにするだけでも、多少はスクリーンタイムを減らせる。それでもまだ平均5時間以上である。
それだけの時間を読書に置き換えたら、ものすごく賢くなってお金も稼げるようになるのではと思う。実際はスマホをみるよりも本を読む方が疲れるので、丸々スマホの視聴時間を読書時間に置き換えることは難しいだろうが、その半分だけでも置き換えるだけでも、かなりの価値がある。
しかし、こういうことがわかっていながら、なかなかスマホから距離を置けないところに、スマホの強すぎる魅力があるといえる。それは恐ろしいレベルのものだが、すっかり虜になってしまったいまは、一日5時間以上スマホをいじることが奇妙だとも思わなくなっている。
スマホも使いようによっては有益である。語学にも活用できる。でも大抵の時間は、TVを見ていたときとおなじく、ただ流される情報を受け身の姿勢を浴びているだけになってしまい、自己成長につながらない。
紙の本だろうが電子端末だろうが、読書という行為には特別なものがあるのだろう。能動的な活動だからだろうか。不思議である。読書はこの地球上の生物で人間だけがする行為である。テレパシーのようなもので交信できる動物からしたら、何をめんどいことをしているのかと思われるのかもしれないが。