親が同居したがっている。親の住居は持ち家ではなく賃貸で、父親は年金もないらしい。母は父(私にとって祖父)の遺産があり、それを切り崩しながら生活しているようだ。具体的な状況はよくわからないし聞いたこともないが、どうやらそういうことらしい。
だから、親が、とくに父が私と同居したがるのもわかる。私としても、親の面倒をみたいという思いがある。私には弟もいるが、すでに結婚し子ども(私にとって甥)もいる。となると、やはり長男の私が面倒をみるべきだろう。
そのことについて、別に何ということもないが、会社勤めが辛くて、今年度中にも退職し、退職金で欧州を3ヶ月くらい旅行しようと思っていたのだが、親を養うとなると、会社を辞めるわけにはいかなくなる。
しかし、会社での居心地は日に日に悪くなっているし、私としても、自分のパフォーマンスに満足がいかないので、終わりが近づいている感じがひしひしとしている。いったん退職して欧州旅行をすることで人生をリセットし、多少の蓄えがあるので、それを食いつぶしながら、次の人生について行動していく、と漠然と考えていたのだが、父の「辞めないんだよ」という、人を支配するかのような物言いに、少しざわついた気持ちになったのもまた本当である。
年齢的に、退職したら再就職できない可能性も大いにある。40代半ばで、学歴もなく、中途半端な英語力だけでは、採用してくれる会社はほとんどないだろう。少なくとも、いい仕事にはありつけないだろう。やってみなければわからないが、とにかくTOEICスコアを少しでも上げて、いざというときに備えておこうと思う。現在のスコアは835だが、せめて860以上、理想は900以上を狙いたい。12月にまた受験するので、それまで英語に触れる機会を増やしていきたいところだ。
60歳まで、精神がズタボロになろうが、なんとか勤め上げるしかないのかもしれない。そうすれば、働いている間は食っていける。親を養うのも、余裕はなくなるが、不可能ではないだろう。会社でのストレスというには生易しい精神的苦痛を、何かでまぎらわすか、無感覚を装うかして、あと15年くらいをやり過ごそうか。
そうこうしているうちに、親も他界するかもしれない。私が定年退職するときに、親がまだ生存してくれているなら、それはそれで嬉しいし、しかも、私が欧州を旅して回るのも、認めてくれるだろうし、私としても、心置きなく旅立てる。ただ、私はそのとき、若くても60歳。これからは65歳まで、あるいは70歳まで働かなくてはならないかもしれない。そういう高齢になって、欧州を旅するということは、今旅をする状況とは、大いに違ってくる。
それとも、親の願いも将来の安定も捨て去って、計画通り、来春以降、欧州旅行を決行するか。職を失った状況での旅を通じ、帰国後の人生について、何かしら妙案が浮かんでくるかもしれない。少なくとも、生きていくために、気持ちが受動的だろうが能動的だろうが、行動を起こさなければならないわけだ。
長年夢見ていた欧州旅行を実行すれば、私も納得がいって、食うために働くという運命を受け入れられるのではないかとも思う。60歳、70歳になって、あのとき欧州旅行を決行していれば、、、という後悔をするのは間違っているという気もする。勇気を出して一歩を踏み出すことで、人生が拓けるということもあるかもしれない。
バーピーなどの運動を習慣化している理由は、見た目をよくして女性にもてるためだったり、身体を強くしてバイタリティーの向上のためだったり、あるいは護身のためだったりするが、長生きも、一つのモチベーションである。運動メニューを最適化すれば、60、70代でも元気でいられるかもしれない。だから、定年までは刑務所にでも入ったつもりでひたすら日々が過ぎるのを耐え忍び、定年後は、晴れて好きな生き方をすればいいのではないか、という気にもなりかけている。