ウォーキングの効用

風邪もほぼ治ったので、また朝起床後の散歩を本格化している。今回は、少し歩く時間を意識して、できるだけ長く歩こうとしている。ふだんは、15分〜20分くらいで切り上げることが多いのだが、これだと効果がないとは言わないが、目立った効果はない。つまり、ダイエットにならないし、気分がリフレッシュされることもない。ただ、心身の状態が悪化することを防げるとは思う。

脂肪燃焼がぐんぐん捗るのも運動を始めて20分後からと言うし、何事にも通じることだが、効果を得たいなら、ある程度の量をこなさなければならない。体重が増えた今、長く歩き過ぎると、関節への負担が大きくなりそうで怖い。若い頃は2、3時間は平気で歩いていたが、100kg近い体重の今は、45分くらいがちょうどいいだろう。1回の散歩時間としてはね。

45分歩いても、歩数は5000歩くらいである。1日1万歩を目指すなら、日中もできるだけ歩く必要がある。ただ、朝の時点で半分近くの歩数を稼げれば、1万歩の達成はそんなに難しくないだろう。

45分という数字は、疲労し過ぎないという意味でも有効である。有酸素運動も45分以上やると、ストレスホルモンのコルチゾールの分泌量が増えるらしいし、それと関係があるのかどうかわからないが、筋肉の分解も進んでしまうという。ボディービルダーの世界では、そのため長時間の有酸素運動が敬遠されているらしい。

実際、長く歩いてくると、イライラしてくるときがある。腹の立つ状況、たとえば会社で受ける嫌がらせとか、そういった想像や妄想がたくましくなってくるのだ。これがコルチゾールの分泌量と関係しているのかはわからないが、癒やし効果やストレス解消を目的に歩いているようなものなのに、逆にイライラして攻撃的な気分になるのでは困る。アドレナリンが出るのだろうか。

昔から、クリエイティブな仕事と散歩は密接な関係にあると言われている。偉大な作家や音楽家などは、よく歩いたそうだ。交通機関が発達していなかったことも関係しているのかもしれないが。ディケンズ、ベートーベン、カントなどの名が思い浮かぶ。脚をよく動かすと脳への血流が増え、より創造的になれるのかもしれない。偉人とは比べようもなく卑小な人間ではあるが、自分にも、よく歩いていた時期は、頭もそれなりに働いていたような記憶がある。

朝に歩くことは、体内時計を調節し、規則正しい生活リズムをつくることにも役立つ。また、朝日を浴びながらリズミカルな運動をすることで、神経伝達物質のセロトニンが増えるという。だから鬱病の人は朝散歩をするのがいいと、ユーチューバーの精神科医がよく言っている。

一番いいのは、自然のなかを歩くことだという。こうすることでストレスが発散され、長生きもできるらしい。そういう情報を知っているから、なるべく緑の多い環境の中で歩きたいと思う。公園までわざわざ行って、歩くのはそのためである。公園にたどり着くまでは、交通量の多い道路を通るのだが、一番いいのは、家の周りが自然豊かなことである。あるいは、歩いて数分で緑豊かな公園がある立地に住むことである。まあ、そういう恵まれた環境を求めるなら、都心なら家賃が高くなるし、郊外や地方に住むしかないのかもしれない。

いずれにせよ、デメリットを探すほうが難しいのがウォーキングという運動だ。歩くという行為は、人間のDNAに深く刻み込まれている。狩猟採集時代は、一日中、食べ物を探し求めて歩いていたらしい。人間は、その状態がとても長く続いた。農耕文明が起こり、定住してからの時間は、人類全体の歴史からみて、ほんの一瞬なのだ。だから、都市に住む人間の身体は、まだ野原を駆け回っていたときと変わらない。それなのに、生活環境が便利なゆえに、身体を動かさなくなってしまった。だから精神病を含むいろいろな病気が蔓延しているのだと言われている。

歩いているときに、素敵な女性と出会い、そこから関係性が構築されていくという幸運にも恵まれるかもしれないが、半世紀近く生きてきて、つまり歩いてきて、一度もそういう経験をしたことがない。いや、チャンスはあったのに、ただそれを掴まなかっただけかもしれない。

ちなみに、歩く距離、歩数も大事だが、スピードも重要である。早く歩く人は、見た目も格好いいし、健康そうでもある。これは男女を問わない。しかし、どうやって早く歩けるのか、トボトボ、テクテクと歩く身にとっては、大いなる謎である。スピードを意識して歩けばいいかというと、そうでもない。もともとの骨格が違うのだろうか。早く歩けば、ダイエットにも有効だろう。誰か、秘訣を教えてくれないだろうか。

40代。語学(英仏)をマイペースで勉強(主に読書)していて、たまにウクレレを弾く。バーピーなど自宅でできる自重トレを習慣化している。

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