後悔しないために生きることの意味

人生において、やりたいことがあるのに、それに挑戦しないで最後を迎えるとき、後悔することは、容易に想像できる。あのとき、ああしておけばよかったなと。いまの自分で言えば、欧州旅行である。滞在期間マックスの3ヶ月間、各地を旅して回りたい。

それをするには、会社をやめなければならない。それは、もちろんリスクである。40代半ばで失業して、再就職できるかというと、かなり難しいだろう。仕事を選ばなければ、働けるとはいっても、やはり適性はある。無理をして働いても、続けられないのではすぐに困窮することになる。

かといって、夢を諦めて、人生を終えるのも違うと思う。このまま安定を優先し、イヤダイヤダと思いながら仕事を続けて老いさらばえるのが、本望かといえば、それも違う。

しかし、今際の際に後悔しなければ、人生は良かったといえるのだろうか。それまでの長い人生の時間は、もし最後に満足できなければ、無意味になるのだろうか。刹那的な楽しみのなかにもやはり何らかの幸福があるだろうし、最後に後悔したくないから、今を犠牲にするという人生が、いいものと言えるだろうか。いま、この瞬間を楽しめれば、最後に悔いが残っても、まあいいか、と思えるようにならないだろうか。

しかし、いざ最後を迎えるとなると、人生を振り返る余裕なんかないんじゃないかな。すでにさらされているかもしれない痛みや恐怖に、最後までいじめられるのではないか。してみると、やはり人間は、今を生きる動物ということになるのではないか。元気に生きているときだけ、将来を心配するもののようである。宗教によっては、死後の世界のことを心配するのかもしれないな。

頭が混乱してきた。欧州旅行を来年するつもりだ。3年後に伸ばして、貯金をつくるなり、フリーで収入を得られる体制を整えるなりしてから、会社を辞めるという選択肢もある。でも、3年後に世界がどうなっているか、誰にもわからない。行けるときに行っておかないと、それこそ一生行けなくなるかもしれない。世界情勢のことだけでなく、親の介護の問題も出てくるだろうし。

一方で、もちろん、会社をやめるわけだから、帰国後にどうやって食っていくかを考えなければいけない。とりあえず自分にできることは、家賃の低い家に引っ越して、固定費を下げることである。しばらくは貯金を崩しながら生き延びられるが、家賃が高ければ、すぐ行き詰まってしまうからね。一方、再就職を少しでもできるように、とくに語学のスキルは高めておくと良いと思う。というか、他にできることがないから、できることを伸ばすしかないという感じだけれども。

旅行中に自分自身を見つめ直し、これからの残りの人生について考えをめぐらすことで、新しいモチベーションが湧いてきたり、進むべき方向性がみえてくるかもしれない。あまり期待はしていないけど。

もし、来年春に欧州旅行を断行して、帰国してから最後の瞬間まで困窮に苦しんだら、後悔するのだろうか。想像してみても、よくわからない。会社に残って、小金を貯めておいたほうがよかったのに、と思うのだろうか。ヨーロッパに行くよりも、もっと身近な幸せを愛でればよかったと思うかもしれない。

ただ、後悔したくないということを、何か人生の羅針盤に据えるのも、どうかと思うだけである。最後の瞬間の自分の感覚だけが大事なのか。違うだろう。いま、こうして生きている瞬間も、掛け替えのない、大切なものだ。うーむ、結局、答えは出ない。してみると、やはり、無理にでも欧州には行ったほうがいいようだ。これは行ってみないと、わからないことだしね。自分がそうやって安定を捨てて、大きな勝負に出たら、どう感じるのか、それを確かめるためにも、実行すべきなんだろうな。

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