会社のストレスがひどくて、気が狂いそうになっていたら、なんと知り合いが再結成したオアシスの日本公演のチケットが当たったので、一緒に行こうと誘ってくれた。もう仕事に絡むストレスで退職のことばかり考えていたところだったので、なんというか大げさにいえば、天の配剤を感じた。地獄のような日々に光が射し込んだのだ。
私はストレスを感じやすいのか、精神に障害があるのか、とにかく嫌な感情、考えが頭を猛烈にかき乱すので、もう正気を保っていられなくなるくらいである。怒りに我を忘れ、妄想の中で誰かを攻撃したりすることに夢中になり、ふと我にかえることも少なくない。自分でも恐ろしくなるほどだ。日々の小さなこと、たとえば狭い道を歩いていて、向こうから来た人が全然譲る気配をみせないので、こちらが一歩横に踏み出したときとか、料理屋で店員が他の客には愛想よくあいさつを合唱するのに、私が会計するときは誰も何も言わないとか、そういうことがあるたびに、精神が蝕まれている気がする。要は、負け癖がついているので、風貌にも、それが表れているのだろう。カラスにさえ、舐められていると感じる。
実際は、気にし過ぎなのかもしれない。しかし、私が感じているストレスは言語に絶し、絶対に他人は理解できないだろうと思う。もう、叫んで、走り出したくなるような衝動を覚えるのだ。生まれてこなければよかったと常々思っている。それでも、冒頭のような、自分では何もしていないのに、棚からぼた餅的な恩恵が舞い込んでくることがある。だから、不幸を嘆いてばかりいるのは、近視眼的だ。思考が、悪い方ばかりに流れるような癖がついてしまっているのかもしれない。
だが、日常に屈辱を覚えるような出来事が散りばめられ続けているようだと、この思考の癖は変えられない。別に、出会う人みんなにかしずいてほしいと思っているわけではない。ただ、過剰になめられるのが嫌なだけなのだ。ふつうに、他の人と同じように周囲から扱われたいだけだ。もし実際にそうなれば、少しずつ私のトラウマのようなものも薄れていき、人生そう悪くないと思えるようになる日が来るのかもしれない。
そのためには何をすべきか。どうやって自分に自信をつけられるのだろうか。身体を変えるのは、手っ取り早い方法だ。といってもそう簡単に身体は変わらないのだが。バックランジの有効性に気づいたので、これからルーティンに組み入れる。ジャンピングジャック、バーピー、バックブリッジ、四股の後に、バックランジをやるのだ。このように最後にバックランジをやると、息がかなり上がり、体も温まる。若返りにも効果があるような気がしてくる。
ま、幸不幸は、自分ではコントロールできない。幸せだと思っていたら、不幸が訪れるのだろうし、その逆もあるわけだ。自分自身に満ち足りることができれば、運勢とも距離を取り、いちいち揺さぶられなくてもすむのかな。しかし、オアシスのチケットは、間違いなく幸運だ。感謝感謝である。