1対1で話していて、相手がその分野に明るくないことを感じ取った瞬間、高圧的な態度になり、王様のように振る舞う低レベルな人間性のやつとは、付き合いたくない。表向きはいい人そうにみえても、1枚皮をはぐと、その下には、野獣のような攻撃性を秘めている人間がいるものだ。こういうやつらに、私は目をつけられやすい。
頼んでもいないのに、レクチャーが始まる。相手がいう通りにこちらが答えないと、同じ意味内容であっても否定してくる。わからないと正直に答えても、考えてみようとうながされ、無言の時間が続く。趣味の集まりで、なぜこのような仕打ちを受けなければならないのか?しかも、ノートを取れと、命令してきた。年上の、この私にである。そいつの顔をみると、おいしい獲物をみつけた怪しい喜びに表情が生き生きとしている。
こういう人間とは、付き合わないのが賢明だ。マウントを取るやつはどこにでもいて、それが会社にいると、どうにかこうにか、付き合っていかなければならない。つまり、すでにそういうマウント野郎には辟易しているのに、趣味の世界でもマウント野郎にいじめられなければならないというのは地獄である。
大体、そういうマウント野郎は、自分を客観視できているのだろうか?できていて、高圧的な自分の態度を恥ずかしく思わないのだろうか?俺、かっこいい、とでも自惚れているのだろうか。客観視できておらず、単に自分の優位性に酔いしれているのなら、そこには理性はないだろう。知識の大小ではなく、動物的な欲求に支配された低俗な人間性と言わざるを得ない。
問題は、そういう人間に私が目をつけられやすいということだ。いや、そうではない。多かれ少なかれ、マウントを取りたい欲求は誰にでもある。ただ、それは普段、人前では隠しておく類の欲求である。なぜなら、それは恥ずかしく、情けない、卑怯とも言える欲求だからである。だが、なぜか私と接する人は、その低劣な欲求を隠すことなく、格好のはけ口をみつけたとでもいうように、全開で迫ってくるのである。仮に、1対1で私にマウントを取っているときに、第三者が入ってきたら、その男は、むき出しにしていた牙を、すぐに引っ込めるだろう。その行いが恥ずべきものであるという認識があるからである。となると、自分を客観視することはできていて、マウントが醜い行為だという自覚があるにもかかわらず、私という子羊の前では、恥ずかしげもなく開陳することが許されると信じて疑わなくなるのだろう。
馬鹿げたことだ。こんなことには付き合っていられない。そういうやつらとは縁を切らなければならない。マウントを取るのが好きなやつは、思っているよりも、お前の獲物から、恨まれていると知ったほうがいい。