もしいま目をつけている物件に引っ越すとするなら、ベランダが狭いので、シマトネリコは置けない。枝葉をぶった切って、ゴミに出すのはしのびないが、やむをえないかと思っていた。しかし、シマトネリコは夏の直射日光が当たると弱ってしまうらしい。つまり、日当たりにもよるだろうが、ずっと屋外に出しているのはよくないということだ。
だったら、窓際の室内に置けばいいのではないか。幸い、目をつけている物件は今の部屋より多少広いし、窓は外に突き出たレイアウトになっているので、そのスペースにちょうどおさまる。まあ、そのスペースは、テーブルを置いたりと、いろいろ他にも活用法があるだろうから、何が何でもシマトネリコを置く必要はないと思うけどね。
隣人の騒音は、とりあえず落ち着いた。しかし、日中、階下からは怒鳴り声が響いてきたりと、なかなかのカオスである。家賃が低いからやむをえないが、この状況に慣れれば、生活費はぐんと下げられる。働き続ければ貯金がはかどるし、会社を辞めるなら、蓄えを切り崩しながら無収入で生きていける期間を延長できる。
若い頃は、せこせこ倹約なんかするより、自分のスキルを磨いて収入を増やせばいいという考えがあった。それはある意味では正解だったが、節約も習慣のところがあるので、整理整頓や自炊などを早い段階から習慣化しておけば、スキルアップと並行して貯金もできたはずである。いまとなっては後の祭りだけど。
一方、40代半ばとなって、会社でも優秀な若手に比べ自己の無能さ、存在意義の低さを目の当たりにするようになると、生活防衛の意識が前面に出てくる。スキルアップもしたいと思うが、情熱をエンジンにするというより、習慣の惰力に頼るしかない状況である。読書は英語か仏語でやるようにしているので、読書量が増えるほどにこれらの語学力は向上すると思うものの、AIの進化によって、語学力の価値はどんどん低下していくと思うと、あんまりやる気もでない。ま、もともとモチベーションに頼らない自己研鑽の仕組みを重視していたから、別に今になって持ち上がった問題ではない。自分のやる気は、ハナから信頼していなかったからね。
話が逸れたが、引っ越したら、もちろんお金がかかる。家賃も今より2万円くらい上がる。それでも移る価値があるのか?シマトネリコを置く場所を考えるより、そのへんをよく考えなければならない。住めば都という言葉もあるのだし、意味もなく今の部屋に引っ越してきたわけでもないのだから。懸念の隣人の深夜の叫びもおさまったのだ。やけになる気持ちもわからなくはないが、ここは一度、冷静になったほうがいい。