文章を書くくらいしか能がない。かといって、大作家のような才能もない。そこそこ、書けるとは思うけど。何を書いても素晴らしい文章になり、人々が価値を認めて、経済的に成功する。そのような書き手になりたいと、若い頃から思っていた。自分が気になったこと、書きたいことを書くだけで、生計が成り立てば、こんなに素晴らしいことはない。
そういう文章の錬金術を編み出そうと、書く練習をしたり、外国語学習に手を出したりした。外国語は、勉強することで脳の構造が変質し、より深みのある、少なくとも単一言語しか操れない人に比べて違いを生み出せると思って、やっている。つまり、文章力をなんとかものにして、それによって食っていけるようになりたいと思って、力の限り努力してきた。
しかし、そんなに世の中は甘くない。このブログも1年くらい経過するが、まったくアクセスが伸びない。もし文章の錬金術を身に着けていたら、ちゃちゃっと書くだけのこのブログも、珠玉の価値を帯び、いくばくかの金銭を得ることができるようになる。だが、錬金術が幻想だったのと同じで、文章でも錬金術は実現できないようである。
外国語に手を出したのは、別のキャリアを切り開ける可能性がもたらされただけでも、よかったと思っている。今後、落ち着いたら会社を辞め、世界旅行(主にヨーロッパとアジア)に出かける。英語と仏語はそれなりに使える。英語は、通訳みたいなことを仕事でする機会も増えてきた。仏語はまだ日常会話くらいしかできないが、これからどんどん磨いていくつもりである。20年以上のライターの経験と、外国語のスキルを使って、なにかやれるのではないか。甘いだろうか。旅行系ブロガーとか?
量が質に転換するということは、あり得るのだろうか?文章も、書いて書いて書きまくっていれば、いつか金色に輝き始めるかもしれない。そういう望みを捨てきれず、今日も書いている。