成長するには最低1日2時間の努力

文章を書くことを25年も続けてきても、ぱっとしない。そりゃ、始めた頃から比べたら筆力は向上している。だからといって、大成功して、遊んで暮らせるようになったわけではなく、将来への不安は尽きない。努力を習慣化すれば自動的に成功できると思っていたのに、実際はそうはならなかった。四半世紀も続けていれば、芽が出てもよさそうなものだが、そうはなっていない。

長く続けることが大事なのは本当だ。しかし、レベルアップしようと思ったら、長く続けるだけでは駄目だ。量もこなす必要がある。1日1時間程度の努力では、そこそこのレベルにはなれても、一流にはなれない。

母が趣味で長年ピアノを弾いているが、完全にトチることなく1曲を弾き終えたことはないと思う。なぜか。練習するとしても、一日せいぜい30分とか、1時間くらいだからだろう。毎日やっていたかどうかもわからない。一方、名を成した音楽家は、一日に10時間くらい練習したりするものだろう。両者のレベルの差は、才能によるところもあるのだろうが、一番は練習量の差だと思う。

すべてのことに上記の法則が当てはまるということはないだろう。だが、ある程度までは、技量と練習量は相関していると思う。スポーツの世界でもそうだろう。語学だって、一日1時間だと現状維持が精一杯で、2時間から成長できると言われるし、実体験からもそう感じる。もし母が、毎日2時間以上練習していたら、少なくとも今よりは上達していたのは確かだろう。

自分を顧みても、語学にしろ執筆にしろ何にせよ、1日2時間以上やることは皆無と言っていい。それなのに、毎日長時間やっている人と、同じ成果を求めるのは無理がある。自分が天才であれば話は違ってくるのかもしれないがね。凡人であるのだから、本当にレベルアップしたいなら、やはり最低2時間は時間を費やすべきだろう。一流になるには、さらに多くの時間をこなすことが求められる。

逆にいえば、才能がなくても、長時間努力することができれば、一流になれるということだ。2時間という時間を捻出することは、スマホの使用を制限すれば容易である。だが、ひとくちに2時間といっても、実行するのは簡単ではない。だが、とにかく2時間やることになれることだ。それこそ習慣化できれば、続けやすくなる。習慣という言葉からは、勝手に毎日少しずつやるものというイメージを受けやすいが、少しである必要はない。少しずつやったほうがいいものも、ある。

だが、そのスキルによって食べていくような重要なものであるならば、短時間で終わって満足していてはいけない。20年やろうが30年やろうが、そんなことでは、いつまで経っても成長はできない。会社にも長年やっているのに、実力が新人程度の人がいてびっくりすると同時に、自分も同じ道を辿るのではと恐ろしくもなるが、それを打ち破るのが、毎日2時間の勉強、努力である。

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